マスク・ド・サラリーマンになる前 ―海外転勤編①

マスク・ド・サラリーマンになる前 ―海外転勤編①

海外への切符を手に、完全に新しい世界で仕事をする

いきなりの連続、すぐに渡航先が決まる…

バタバタと東京に引越し、自分の会社とは全然違う東京の会社へ出向した。環境も大きく変わるが、仕事のやり方も全然違う…はじめの一ヶ月は本当に全力だった。同時に急遽の英会話学校への通学。業務とは別のところでも奔走した。なんせ大学時代から数年以上も離れていた語学。思い出すのも必死だった。本来だったら、3ヶ月くらいの準備期間で海外に赴任となる予定だったが、赴任先が急にフィリピンに決まり、1ヶ月後の赴任と急に決まった。ビザの取得への時間の限られていたし、発展途上国のため大量の予防接種を打つことになった。狂犬病、A型肝炎、B型肝炎、麻疹、風疹、どの他諸々…時間もないため、一日に6本くらい注射を受けた。東京の家の片付けもままならないまま、私はフィリピンに飛んだ。

これまでの仕事とは全然違う内容に奔走…

何の準備もないまま、フィリピンに到着した。出向してから3週間後だった。結局予防接種は完全には終わらず、予防接種のために一時帰国も決まっていた。現地から急いで来いと命令があった理由はすぐ分かった。ホテルに荷物を置いた直後、すぐにオフィスに来いと連絡があった。Grab(現地のタクシーのようなもの)で行こうとしたが、プロジェクトお抱えのドライバーが迎えにきていた。拙い英語でやりとりをし、その運転でオフィスに向かった。車内ではドライバーから逃げられたらクビになってたところだったと言われ、どういうことかと疑念を持った。オフィスに到着した。オフィスは完成間近のビル(フィリピンでは完成前のビルでもオフィスができたところから入っていく)のワンフロアだった。入ると日本人、現地人、欧州人、台湾人がかなりの人数がいた。Welcome to Philippinesの後、すぐに仕事の担当内容についての説明と期限を言われた。後々分かったことだが、前任者が逃げたため後任が必要だったそうだ。すでに数ヶ月の遅れ、そして気になったのが達成が難しい、つまり現在では不可能(車を自由に空に飛ばす様な)に限りなく近い夢の計画を担当しろとのことだった。

当日から取り掛かったものの、一人ではかなり厳しいため、日本とも連絡を取りながら進めていった。フィリピンでも時差がある。日本に助けてもらっているため、日本の時刻が基準であり、この時差に後々苦しめられることになる。睡眠時間は数時間しかなかった。

現地で2週間が経ったが、当然ながら進捗はおもわしくなく、大きな会議で現地の代表に報告する場が設けられた。相手はフィリピンの大臣クラス。報告はプロジェクトリーダーすなわち上司であり、ペーペーの私は後手サポートと聞いていたため、準備をしていた。

その時の周りの人間がニヤニヤしていたことに気付くべきだった。

会議が始まると、相手側は怒涛に責めてきた。アンオフィシャルな場のため、日本政府の関係者がいなかった。こういう時は無茶苦茶横暴なのである。要求ばかりしてきた。

いくつか質問が来たため、回答を準備すると、上司から「こんなこといえない!お前が責任を取って謝れ!」と言われた。来て、2週間。こんな上司を見たことはなかった。私は何も分からないまま、議長席に立たされ、2時間責め続けられた。所々英語以外の現地語でニヤニヤしながら罵られ、周りの日本人からは彼が仕事ができないからこうなった、と言われ続けた。反論を試みたが、カットされた。

この日から寝ずの作業になった。日本とのやりとりも続き、さらに疲労を貯めた。帰国もなくなった。

また運が悪いことに数年の一回レベルのスコールが発生し、マニラ市内が洪水に見舞われた。衛生的に最悪な状態が続いた。めちゃくちゃ風邪をひいた。今考えれば、これも風邪だったのか分からない。

日本への帰国がなくなったため、予防接種が受けられなくなった。周りに聞けば、現地でも接種できるということで現地で接種することになった。本当は嫌だったが、現地で注射を受けた。めちゃくちゃ痛かった。そして、めちゃくちゃ腫れた…

そして帰国…

体調は最悪だった。1回目の渡航は最大1ヶ月と決まっていたため、一旦帰国することになった。健康診断を受けるために。日本からの帰国の命令に現地のチームは反対した。そして、2週間以内に戻ってこいと勝手に決められた。

帰りのマニラ空港で生まれて初めて検疫所に通された。40℃近く熱があった様だ。感染症の検査をしたが陰性だったため、何とか帰国便に搭乗できた。機内では生まれて初めて気絶を経験した。ANAのCAさんには大変迷惑をかけた…ごめんなさい。

“暗黒面”への転落は少しずつ近づいている…

To be continued…

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